田幸山は山名こそ付いているものの小さなピークが並ぶ尾根の一ピークであり、そこが最高点では無く南隣のピークの方がはまだ20mほど高かった。その山頂としての特徴の少ない田幸山を初めて訪れたのは1997年のことだったが、10年が経過した2007年にちょっとしたきっかけで訪れることになった。2007年2月17日に訪れたのは田幸山から見ると主尾根の東端となる点名・善定だった。その点名・善定を訪れるに当たり、尾根歩きのスタートは田幸山に近い415mピーク(点名・田幸)からとした。そのハイキングのおり、主尾根の間近に作業道の走っているのを見て、次回はその作業道を西へと歩いて田幸山に向かうのも悪く無いと思ったものである。それをさっそく翌週に実行した。2月24日のことだった。作業道から歩き出すのが目的のため、まずは点名・田幸に登ることにした。そこでスタート地点は田幸山の北麓にある田幸集落からすることにした。前回の田幸山登山と同じだった。
この日は午前は足慣らしで近くの済露山に登ったため、田幸集落への移動は昼になってしまった。駐車場所として集落内にある公民館の駐車場を利用させて頂いた。集落内の道を東に抜けるとゲートがあり、その先は林道・栃原線だった。ゲートは開いており、林道を歩いて行く。終点まで歩くと、後は点名・田幸を目指して斜面に適当に取り付いた。すぐに尾根を追えるようになったので、道は無くとも簡単な登山だった。辺りは雑木林で、その空いた所を登るうちに尾根を追えるようになった。そして登り始めてから40分ほどで点名・田幸に着いた。前回は雨が降り出したが、この日は雲が多いながらも青空も見られた。ただ風が非常に強く、そのためか視界は良かった。木々を通して後山も見えていた。この点名・田幸から南隣の420mピークまでは尾根道を歩き、420mピークから始まる作業道で南に向かうのは前回と同じ。作業道とあって周囲は植林地だったが、その空いた所からは西の方向に播磨科学公園都市がときおり望めた。作業道は主尾根に平行してその10mほど下を続いており、作業道が西の方向に曲がるまでが前回歩いたコースで、西へ向かい出して初めてのコースとなった。主尾根には400mを越す程度のピークが幾つもあり、山の姿がはっきりしないまま西に続いていた。その作業道からはときおり北の展望があり、そこからは点名・千本を中心とする尾根が眺められた。その作業道のままに歩いて行くと、やがて左からの作業道と合流して更に西へと向かっていた。道はほとんど平坦で、行く手には同じ高さのピークが並んでいたが、その一つが田幸山と思われた。もう作業道を歩いておれば自然と田幸山に近づけると思い、現在地を考えないままどんどん歩いて行った。そしてそろそろ田幸山に近づいているのではと思い出した頃、作業道は真新しい道となり、辺りは削り取られた山肌が見える荒々しい風景となった。そして道は主稜を越して南へと下り出した。その先は工事中で、作業の最中だった。もう前回に登った尾根の面影は無く、現在地がどこか分からなかった。周りを確認しようにも尾根の木々が視界を妨げていた。作業中の人に聞けばと思い、重機の運転手に聞いてみたが、田幸山のことは知っておらず、今一つ要領を得なかった。そこで右のピークに立ったり左のピークに立ったりしたが、気が付けば15時を回っていた。これでは山頂に立てても明るいうちに下山出来ない恐れが出てきた。そこで田幸山探しはすっぱりと諦めて下山することに決めた。そこで作業道の西端の位置から適当に斜面を下ることにした。植林地の急斜面を木に掴まりながら一気に下って行ったが、これは少々滑落の危険もあって、この日一番の難所だった。それでも無事に麓に下り着くと、そこは林道・栃原線で、田幸集落に近い位置だった。逆算すると、作業道の終点から尾根を今少し西に辿っておれば山頂に着けたようだった。時間があればもう少し粘って探していたはずだったと思え、残念だった。その気持ちを持ちながら駐車地点へと戻って行った。
(2007/3記)(2015/7改訂)(2022/2写真改訂) |