名山の条件に姿の良さがあるが、淡路島でその姿の良さで群を抜いているのが先山だと誰もが認めるところであろう。その小ぶりながら裾を形良く引いた姿は何度見ても飽きないもので、まさに淡路冨士だった。その先山を急な思いつきで登ってしまった。2008年11月最後の週末を淡路島でハイキングを楽しもうと出かけたのだが、その第一の目的は南淡の静かな山、兜布丸山(かぶとやま)だった。そのルートとしては鮎屋ダム側からのアプローチとした。その鮎屋ダムが先山を眺める絶好の展望地だった。兜布丸山の登山を終えたのが29日の午後3時前。この日は兜布丸山しか予定していなかったのだが、帰路に鮎屋ダムのそばを通ったとき、先山が好天の下にすっきりと姿を見せていた。それを見て急に登りたくなったものである。ただ心配はその時間から登るとなると、山頂に立ったときは夕方になりそうで、暗い中での下山になってしまいそうだった。それでもヘッドランプを持っていたので、何とかなると登りたい気持ちを抑えられず先山へと向かった。先山は二度目となるので、そうなると登山コースを変えたく、上内膳の先山口からのコースを登ることにした。国道28号線を西から向かっていたところ、洲本ICに通じる交差点の次の交差点で曲がるのを、勘違いで通り過ぎてしまった。そうなると三洋電機の洲本工場がじゃまとなって、大回りで先山口に近づくことになった。出来るだけ早く歩き出したかったのだが、おかげで10分は遅くなったようだった。先山口のバス停から先山に向かう道に入ると、警鐘台のそばに1台分の駐車スペースを見たので、そこに車を止める。時間は15時20分を過ぎていた。このコースはガイドブックでは山頂まで80分の距離となっており、やはり下山ではヘッドランプが必要になるのかと思いながら歩き始めた。コンクリート舗装の細い道が緩やかに始まっていた。まだ数件の農家があり、一番奥の農家に近づく頃には南に向かって広々とした展望が現れた。諭鶴羽山系の山並みが一望で、柏原山や先ほどまで登っていた兜布丸山が望めたが、もう夕方の色に染まろうとしていた。程なく地道となった。その先で河川工事が行われており、その箇所では登山道は迂回するように付け替えられていた。そこを過ぎて以前からの道を登り出すと、道の雰囲気が良くなった。ゆったりとした道幅で、緩やかな登り坂になっていた。地表は枯れ葉に覆われている。ササの枯れ葉が多いのは周囲に竹林が多いためであろう。その落ち葉道はふかふかとした歩き心地で、その様子からして歩く人は少ないのではと思われた。やはり先山は山頂の千光寺が有名で、参詣者は車で山頂まで行くものと思われた。それにしても歩き易い道で、その登り易さに休むことも無く、けっこう軽快に登って行けた。また夕方の冷気が登るのには快かった。ただ木立に囲まれた中を登るので、やはり足元は薄暗く、何かにつまづかないようにと、注意は必要だった。やはり先山は小ぶりな山のようで、40分も歩けば山頂に近い岩戸神社の鳥居の前を過ぎ、そこより数分で東ノ茶屋の前に出た。そしてその前から始まる石段を登って千光寺の庫裏の前に出た。庭のカエデは紅葉の見ごろを迎えており、その赤い色が薄暗さの中で目立っていた。庫裏の前を過ぎて石段を登ると展望所があり、そこから更に石段を登った所が千光寺境内だった。特徴のある鐘楼堂は見覚えがあり、三重宝塔と本堂の作る雰囲気は古刹ならではのものだった。もう時間は16時を十分に過ぎており、薄暗さの漂う境内はひっそりとしていた。その佇まいを眺めながら、やはりこの山はお寺としての山であり、登頂したとの思いはあまり湧いてこなかった。そのためか、一通り境内を眺めるともう下山したくなった。そして石段を下り出すと、南の空はすっかり夕焼け色になっていた。その空の下に見える山並みの中で一つの山が抜け出していた。その高さと言い、山頂の電波塔からも諭鶴羽山のようだった。姿としては特徴は少ないが、シルエットとなった山並みの中で抜けている姿はやはり淡路の盟主と呼べそうな風格があった。石段を下りた所に展望所を兼ねた休憩所が建っているが、前回でも思ったことだが、周囲の木立が育っていることもあって展望は良いとは言えなかった。そこでも少し諭鶴羽山を眺めていたとき、数人の参詣者が入ってきた。もう薄暗いその時間帯でも訪れる人はいるようだった。入れ替わるようにこちらは下山開始である。時間は16時半。まだ足元はうっすらと見えるので、そのほの明るさのあるうちにとどんどん下って行く。緩い坂は登るのに楽だったが、下りはいっそう楽で、勢いのままに下って行くと、30分とかからず集落の道まで下りてしまった。結局はヘッドランプを使うことも無く、登山を終えることが出来た。そして駐車地点に戻り着いたときは、夕暮れの光から夜の暗さへと変わろうとしていた。あわただしい登山になってしまったが、先山と言う姿の良い山を登りたい気持ちのままに登って来たとの満足感が、疲れた体の中にじんわりと広がってきた。
(2008/12記)(2011/4改訂)(2020/11改訂2) |