兵庫100山に選定された山の中で淡路の山と言えば、諭鶴羽山と先山、そしてこの常隆寺山の三つとなる。常隆寺山には1998年7月に北麓側からの古い道で登っていたが、山頂の「伊勢の森」のことよりも、道中の荒れ道の印象の方が強く、山としてどのような佇まいだったのか、記憶が次第に薄くなっていた。ただ山頂は展望が悪かったことと、その悪い中でも木々の隙間から垣間見た瀬戸の海が青かったことは、印象として残っている。そこで再訪するなら、常隆寺を含めて山頂の佇まいをゆっくり眺めたいと思った。その再訪は13年後の2011年6月の最初の土曜日だった。この日は淡路の小山巡りをしようと向かったのだが、三つは登ろうと考えていた。ただ三つとも小さな山だとメリハリが無いように思えて、一つは有名な、それも簡単に登れる山をと考えて、常隆寺山としたものである。その常隆寺山へは荒れた登山道を歩かなくとも山頂そばの常隆寺まで車道が通じているので、その常隆寺からなら10墳ほどで登れてしまうことになって、何とも楽に登れる山と言えそうだった。
この日はモヤの強い日で、近くの風景も薄ぼんやりとしていた。また空気も締めっぽく、気温がさほど高くないのに、蒸し暑さがあった。この日最初に登ったのは、常盤ダム湖の南に佇む大戸山で、山頂まで遊歩道が通じていたため、ごく軽い登山として終わった。そこから常隆寺山への移動は、いったん西海岸に出て、県道31号線を南下した。そして富島を過ぎてそろそろ常隆寺山への道を気にしだしたとき、あっさり常隆寺の標識が現れた。後は標識に従って走るだけだった。標識は的確に付いており、迷うこと無く常隆寺山に通じる林道に入って行けた。ここで思ったのは林道を常隆寺まで走ってしまっては、歩く距離が少な過ぎるのではと言うことで、そこで常隆寺の少し手前にあった常隆寺配水池のそばに車を止めた。そしてそこから歩き始めた。緑の濃い林道を歩いて行くと、10分とかからず常隆寺だった。今少し手前から歩き出しても良かったようだった。常隆寺は広い境内を持っており、庭の手入れも良く、古刹の雰囲気が漂っていた。人の訪れが多いのではと思えたが、着いたときは車も人影も無かった。その常隆寺に山頂への標識は無かったが、裏手の高台が山頂となるので、本堂の横へと回ると、その高台へと続く石段を見た。その石段を登ると、漸く山を登っている雰囲気となった。そしていきなり大木を多く見るようになった。それを伊勢ノ森と呼ぶのであろう。この雰囲気はやはり麓から登って味わうのが良さそうだった。登山道ははっきりしており、尾根の上を歩くようになって左手に魚霊供養塔と電波塔を見ると、僅かな距離で山頂に着いた。常隆寺からは10分ほどなので、散歩のようなものだった。山頂には祠があってそこは以前と変わらないが、周囲の様子が以前と変わっていた。展望の悪かった山頂だったのに、木が切られたようで、北側にも南側にも展望が開けていた。その展望を楽しもうと北側を覗くと、そちらの空はモヤがきつく、近くに見えるはずの海さえ判然としなかった。南の方はずっと広く展望があり、南東に見える姿の良い山は妙見山のようだった。そして南には常隆寺山から続く500mに近い尾根が近くに見えていた。この展望が良くなったのは最近のことなのか、切られた木がまだ足下に放置されていた。山頂にはベンチも置かれており、そこに座って南の風景を見ながら昼食とした。この展望があるのなら、視界の澄んだ日に訪れたかったと思ったが、仕方のないことだった。軽い昼食を済ませると、再び伊勢ノ森の古色蒼然とした巨木を眺めながら、常隆寺へと戻って行った。こちらが山頂に立つ間に来訪者があったようで、境内に人影がちらほら見えていた。その境内を通りながら、常隆寺山は登山として楽しむのも良いが、古刹常隆寺と伊勢ノ森の散策を目的として訪れるのも悪くないのではと思えた。登山をしたと言うよりも、軽い散歩を終えた気持ちで駐車地点へと戻って行った。
(2011/6記)(2021/7改訂) |