この日は但馬北部の高峰を目指して朝早く家を出たのだが、前日の澄んだ青空はどこにもなく、空は薄ぼやけた雲に占められていた。視界も薄ぼんやりしており、遠方はモヤの中だった。この日の天気予報は快晴となっており、それを信じて北へと向かっていたところ、但馬地域に入っても好天の兆しは見られなかった。遠方に見えるはずの高峰は、ガス雲に隠されていた。そこで当初の予定を諦めざるを得なかった。ただ八鹿町まで来ていたので、近くの手頃な山でも登ろうと地図を開いてみると大徳山が目に付いた。この山なら目の前だった。ちょうど大徳霊園の看板が見えたことでもあり、その案内に従って9号線を離れて八木川に架かる橋を渡ると、大徳霊園へと向かった。その霊園からどのように登って良いかは全く分からなかったが、それは霊園に着いてから考えることにした。舗装路は山中へと入って行き、害獣避けゲートを通過して更に走り、少し小高くなった所に大徳霊園はあった。そこは眺めも良く、その一帯に米里(めいり)古墳群が有ることを示す案内板も立っていた。そこからどう登るかだったが、手元の地図は昭和59年発行と古く、霊園は示されていなかった。また林道も霊園のある辺りまでしか書かれていなかった。しかし実際には霊園のそばからは、山中へと更に延びる作業道が分かれていた。その土道の作業道をまずはアプローチとすることにした。その道がいざ歩き出してみると、どこまでも続いていた。道の傾斜は緩やかなままで、急斜面の所はジグザグ道になっていたので急坂になることは無かった。ただ道としては幾分荒れており、オフロード車が相応しい道だった。途中からはヤブコギもあるだろうと覚悟して登っていたのだが、まだまだ上へと続いていた。何ヶ所かで道が二手に分かれたが、山頂に近づく方向の道を辿って行った。展望も開けてきて、八木川を挟む北向かいの山並みも広く眺められるようになった。そして山頂まで標高差で50mほどになったとき、道は巻き道のようになって西へと向かい出した。今少しは道なりに歩こうとそのまま道を辿ると、やがて下り坂になってきたので、漸く作業道を離れることにした。適当に植林の斜面に取り付くと南東方向へと山頂に向かった。まずは尾根に出て、そこを登り詰めるとピークに着いた。そこには小ぶりなマイクロウェーブ反射板が建っており、北に向かって広く展望が開けていた。そこが山頂かと思ったが三角点が見当たらない。辺りを探ると、まだ東の方が幾分高いようだった。そちらが山頂のようだが、まずはマイクロウェーブ反射板の前で小休止とした。その反射板の敷地の囲いが1mほどの高さしかなく、簡単に中に入ることが出来た。そしてなぜかその敷地内だけにワラビが繁茂していた。展望に惹かれて入ったものの、この日の視界はひどく、前の山さえ薄ぼんやりとしか見えていなかった。それでも足元には八鹿の町を、そしてその町並みを取り巻く尾根が眺められた。一休みの後、尾根を東へと200mほど歩いて、一段高くなった所が山頂だった。二等三角点(点名・廣谷)が置かれた山頂は木々が茂っていたが、登頂記念の石のプレートや石柱が幾つか置かれており、地元に親しまれている山であることを窺わせた。そのプレートは小学校の登頂記念のもので、養父町側から登ったようだった。その山頂で昼休みとしたが、ここに来るまでのほとんどを作業道歩きで通したため、あまり疲れも無く、少々呆気ない感じだった。地図を改めて見直し、この大徳山に登るのなら、南からの尾根が標高差も500mはあって面白そうに思えた。なお山頂からの展望は良いとは言えず、北東方向に光明山が見える程度だった。ただ休むには良い所だった。この日の山頂は爽やかな風が渡っており、昼寝をしたくなった。早めの昼を済ますと、五月の風に吹かれながらいっとき昼寝を楽しんだ。下山は駐車地点のこともあり、北へ真っ直ぐ延びる尾根を下ることにした。この尾根はけっこう急坂で、また足元が軟らかくよく滑りそうになった。灌木に掴まりながら慎重に下ると、程なく作業道に下り着いた。どうやら作業道の最高地点が、山頂への最短距離だったようである。もう尾根を辿る気は無くなり、後は作業道を歩いて戻って行った。ヤブコギも覚悟していた大徳山だったが、何とも気楽な登山をしてしまった。
(2004/5記)(2013/2改訂)(2021/6写真改訂) |