佐用町の山は自然林の尾根が緩やかに続いて、静かな尾根歩きを楽しめると言った印象を持っている。壇の平もその一つで、1995年12月に海内地区側から登ったときは、落ち葉に覆われた尾根の雰囲気の良さに、好印象を持ったものである。但し展望に関しては良いとは言えず、再訪を考えるまででは無かった。その壇の平を西からの周回コースで楽しもうと思いついたのは2008年の秋だった。初めて登った日から13年経っており、また郷鴫山や高鉢山など近くの山を登っての印象が悪く無いことから、壇の平を違ったコースから登れば新たな印象も生まれ、また展望も期待出来るのではとの考えからだった。「千草」の地形図を見ると、西麓の羽蔵集落を起点とすれば、そこより西の尾根に出て、尾根伝いで右回りでぐるりと尾根を歩いて壇の平へと向かえそうだった。そして壇の平からは水根集落へごく緩やかな尾根が付いている。ゆっくりと歩けば4時間程度と、手頃なハイキングが楽しめそうだった。
向かったのは2008年12月の穏やかに晴れた日だった。羽蔵地区への道は二つあり、どちらも国道373号線からで、一つは下石井地区より分かれており、もう一つは上石井地区で分かれている。南から走ってきたため、下石井地区の大船集落から始まる車道に入ると、これが車1台分の幅しか無い細い道だった。水根川沿いをずっと続いており、2kmほど走って羽蔵集落に入った。そこで上石井からの道と合流したが、そちらは二車線道路になっていた。どうやらメインの道は上石井地区からの道のようだった。その合流点に近い位置に水根川に架かる橋があり、その橋のそばに見えた空き地に駐車とした。近くに大規模な法面工事が行われており、その工事関係の車も止まっていた。西の尾根へどの地点から取り付くかは着いてから決めようと考えていたが、その西尾根を見ると、上石井からの車道が尾根を越えて来ていた。その車道の峠位置が取り付き点として適当と思われた。車道を歩き出してその峠へと向かい出すと、峠の南側で行われている大規模法面工事の現場で、大勢の作業員の姿を見た。災害対策の工事かと思われたが、集落の規模と比べてけっこう大がかりな工事に思われた。峠からは北へと尾根に取り付くのだが、そこは法面の急斜面になっていた。滑らないように慎重に登った。それも10メートルも登れば植林地に入って、無理なく登れるようになった。植林地は長くは続かず、程なく自然林に変わった。尾根も緩やかになった。もうさっそく佐用の山らしい長閑な雰囲気に浸れることになった。木々はすっかり葉を落としており、その落ち葉が広く地表を覆っていた。その様は人の訪れが少ない山の持つ独特の静寂さがあり、心休まる風景だった。自然林が周囲を取り巻くためすっきりとした展望は無かったが、東には木々を通して壇の平山頂が間近く見えており、西には岡山側の尾根が覗いていた。地表の落ち葉には木立の影が映っていた。陽射しは暖かく、ただのんびりと歩くのみだった。尾根には小さなピークが幾つもあり、最初の目立つピークは484mピークだった。そのピークが近づくと少し傾斜がきつくなり、落ち葉に滑り易くなった。足下に注意が必要だったが、それも落ち葉道を歩く楽しさの一つだった。484mピークを越えて北東へと向かい出すと、ときおり木々を通して北の高い山が見えるようになった。日名倉山から後山、そして駒の尾山へと続く岡山との県境尾根だった。ときおり足を止めてはその風景に眺め入った。本当に尾根なりに気楽に歩くだけだった。ただ尾根は優しいとばかりはいかず、ときおり植林地が現れて、間伐された倒木に煩わされることがあった。尾根は進むうちに少し複雑になって、東に向かっているかと思うと北に向かったりと、地図を頭の中にイメージしていないと、主尾根を外してしまいそうだった。歩くうちに昼どきとなったので、553mピークに近い位置で昼休憩とした。ところがそこは風の通り道なのか、それまで少ししか受けなかった北風を強く受けるようになった。冷たさのある風で、それを避けようと東側の斜面に入って休憩とした。そこで軽く昼食を済ませると、北の尾根をもう少しはっきり見たくなり、予定した周回ルートからは離れることになったが、553mピークを越えて北へと少し歩いてみた。地形的にその先は尾根の傾斜がきつくなっており、展望が開けるのではとの期待だったが、その期待通りとまでは言えなかったが、少しは展望が開けて後山の尾根だけで無く、足下には奥海の最奥の集落、奥土井も見えていた。その後は昼休憩の地点まで戻り、そこから南東へと尾根歩きの続きを開始した。尾根の向きが南に変わると、緩い上り坂で高度を上げ出した。尾根の様相も少し変わって、アセビの茂る所も見られるようになった。優しげな自然林の広がる所もあり、その様子から以前はササに覆われていたのかもしれないと思った。少し尾根の傾斜がきつくなると、左側の尾根が近づいてきた。そしてその尾根との合流点が一段高いピークになっているのが、木々を通して見えていた。それが壇の平の山頂だった。急坂が終わると尾根は暫く平坦となったが、そのとき西の展望が良くなり、岡山側の山並みが眺められるようになった。少し高い山は袴ヶ仙のようで、その背後には一段高く那岐山がうっすら見えていた。下山に予定している南西尾根と合流すると、もう山頂までは100メートルほどの距離だった。その山頂が間近になると、なぜかヤブっぽくなり、アセビの枝を避けながら山頂到着となった。山頂は周囲を雑木が囲んでおり、展望も無くごく平凡な感じだった。それまでの雰囲気の良さから、今少し木が伐られればすっきりすると思えるのだが、ちょっと雑然とした雰囲気だった。すっきりした辺りで一休みしようと、山頂を越えて北東尾根を少し下ることにした。そこからは前回に歩いたコースだった。少し下るとまた木々のばらけた尾根となった。ただそのときに上空が急速に雲ってきた。午後に入って西の空から薄雲が広がり出していたのだが、14時が近づいて上空まで一気に広がったようだった。そうなると尾根は寒々とした雰囲気になってしまった。そこで尾根を北東へと歩くことはすぐに中断して山頂に戻った。山頂は三角点の位置こそ雑然としていたが、少し西へ戻る形で下ったとき、北への展望が現れた。登っているときは気づかなかったようだった。そこに立って後山を見ながら一休みとした。その後山も上空はすっかり曇り空だった。下山は予定通りに水根集落へと南西に延びる尾根を下って行った。尾根の傾斜は緩やかで、木々は空いて歩き易かった。下るうちに木々は自然林から植林へと変わったが、尾根は緩やかなままだった。そして地図に破線路の書かれている峠へとごくスムーズに下り着いた。そこには峠の地蔵さんが置かれており、その古さに彫られている文字を読むと、文化三年と書かれていた。後はごく普通の山道となる破線路を歩いて羽蔵集落へと戻るのみだった。下山中にいっとき晴れ間が戻ったが、羽蔵集落へと峠道を歩く頃は、すっかり曇り空になっていた。駐車地点が見えてくると、近くで行われている法面工事現場では、朝と変わらず大勢の人が働いていた。
こうして周回コースで壇の平を楽しんだが、壇の平だけを目指すのであれば、この日の下山で歩いた南西尾根コースが一番簡単ではと思えた。普通に歩いて峠から40分ほどで山頂に立てそうだった。
(2009/1記)(2021/11改訂) |