笠ヶ城山の名を初めて見たのは「波賀町誌」の中だったが、宍粟の山にしては標高が低いためなかなか足を向けず、漸く訪れたのは2002年9月のことだった。千間原に通じる林道の起点に近い位置から登り始めて、クサイソ山経由で山頂に立ったものの、展望は良いとは言えず、そのまま尾根を更に北東へと辿って次の三角点ピーク(点名・千間原)まで歩いたが、結局、満足な展望は得られなかった。その地味な山として記憶していた笠ヶ城山が宍粟50山の中に入っていたときは少し驚いたが、地域のバランスをとることを理由として選ばれたとしか思えなかった。ただガイド本「宍粟50名山」の中で紹介されている皆木集落側からのコースは、ごく簡単に山頂に立てそうであり、またクサイソ山との鞍部はモミジ谷と呼ばれていることを知った。そこで紅葉の季節に気楽なハイキングをしたいと考えたときに再訪しようと考えていた。それを実行したのは2011年11月3日、文化の日だった。週中の祝日のため、無理のないハイキングをしたいと考えた。そして季節がら紅葉を楽しみたいと考えたとき、モミジ谷のある笠ヶ城山を思い付いたものである。
この日は朝の空を見て雲の多い日かと思っていたが、国道29号線を北上するうちに天気はどんどん快方に向かい、波賀町に入ったときはすっかり好天になっていた。ただ空の色は、少し青みが少ないようだった。波賀町の中心部を過ぎて皆木集落への車道に入った。集落内の細い道を適当に走って集落を抜けると、程なく登山口標識が現れた。この日はガイド本の紹介コース通りに歩く予定だったので、大谷登山口の標識が現れたとき、その近くにあった広い路肩に車を止めた。まずは北へと林道を歩いて行くと、すぐに害獣避けゲートが現れて、その先は山道となった。一帯は植林地で、山道と言うよりも植林の作業道だった。植林地は薄暗く、小さな沢沿いを歩くようになった。赤テープが付いており、道が少し分かり難い所はそのテープを頼りに登って行った。やがて登山道は左手の尾根の方向に向かい出した。尾根が近づくと植林地を抜け出して、周囲は自然林となって明るくなった。尾根に着くと、そこはクサイソ山と笠ヶ城山との鞍部で、モミジ谷と呼ばれる所だった。ところが全く紅葉していなかった。モミジ谷の名の通りにカエデの木が多く見られたが、どの木も青々としていた。どうも今年の紅葉は遅いようで、肩すかしにあったようだった。この後は尾根を北へと向かえば笠ヶ城山となる。尾根の傾斜はきつくは無く、自然な尾根道が続いていた。木々の疎らな所も現れて、そこからは少し展望があって東山が眺められた。また尾根歩きとなって、紅葉した木が少し見られ出した。展望があれば足を止めたりと、ごくゆっくりと登っていたのだが、前方が開けてきたと思っていると、そこが山頂だった。尾根歩きを始めてから20分とかかっていないので、呆気なく着いた感じだった。その山頂が前回と様変わりしていた。多くの木が伐られたようで、けっこう展望の良い山頂に変わっていた。また伐られた木の切り株が椅子のようになっており、休むのにも良さそうだった。あまり歩いた感じもしないまま着いたことに、少々物足りなさを感じながら小休止とした。序でに軽く小腹を満たした。そして山頂展望を楽しんだ。東には一山、西には大甲山からヒルガタワへと続く千メートルの尾根が眺められた。間近に見るだけに、雄大さがあった。また北西には三室山も覗いていた。紅葉は楽しめなかったが、展望は逆に期待していなかっただけに、うれしい誤算だった。その山頂で30分ほど休憩した後、尾根を東へと歩いて行った。緩く下って緩く登り返した所が観音屋敷跡で、そこから南の方向へ下れば峠登山口に出られるようだった。そこは標識があってこそ分かるが、無ければ通過してしまいそうな所だった。峠登山口へと、南の方向へ下って行った。また植林地となり、急斜面をどんどん下った。この下りの登山道も、植林の作業道の雰囲気だった。途中で幅広の山道に出会ったが、それはトラバース道のため長くは歩かず、再び作業道のような小径を歩くことになりそのまま林道に下り着いた。そこは林道の終点位置になっており、今は工事が行われているようだった。そのためかそこにあると思っていた登山口の標柱は見当たらなかった。後は林道を歩いて行くと、15分ほどで駐車地点に戻り着いた。時間はまだ正午になっていなかったので、笠ヶ城山のハイキングがごく簡単に終わったことでもあり、午後にもう一つ登っても良いとも思えたが、山頂での展望に満足してしまったことと、週中の休みのためあまり疲れたくもなかったので、この日は笠ヶ城山だけにとどめて帰路についた。
(2011/11記)(2021/7改訂) |