国道312号線を北上していると、生野峠を越えて朝来インターが近くなったとき、左手前方に婆々山のすっくと立つ姿が現れてくるが、今少し進むとその婆々山の左手にも三角錐の姿をした端正な山が見えてくる。地図に山名は無く登山コースの紹介も無いため、あまり登られていないようだが、春には新緑に包まれた姿で、秋には紅葉に包まれた姿で目を楽しませてくれる。その798mピーク(平野高山)を初めて登ったのは1999年の紅葉が始まりかけたときだったが、急な思い付きでの登山だった。その日は別の山を予定していたのだが、尾根から眺めたその姿に惹かれて、急きょ登ることにしたものである。東からの長い尾根歩きの末に山頂に立ったのだが、姿が良いだけで無くしっかり登れた上に山頂展望もあって、充実感の持てる山との印象を受けた。その798mピークを二度目も急な思い付きで登ることになった。
2010年11月20日は竹田城を見下ろす山として、二度目の大路山を登ろうと但馬の地へと向かった。生野峠を越えて旧朝来町に入ると、どの山もすっかり紅葉した姿で目を楽しませてくれた。そして竹田の城下町が近づいたとき、大路山の南麓にある大路ダムへと国道312号線を離れた。大路ダムの案内標識があり、それに従っていたところ、そこへ向かう車道の入り口に標識が立っていた。「大路山はまったけ山につき入山禁止」となっていた。更に山火事防止として年間を通じて入山禁止のようだった。年間を通じてのようなことを書くようでは、どうも久世田の里は登山者に冷たいようだった。要らぬトラブルを起こしたくないので、大路山はあっさり諦めることにした。そして近くの別の山を登ることにした。周囲には幾らでも登山対象になる山があるので捜すのに苦労はしないのだが、このとき思い付いたのが798mピークだった。道中で目にした山の中で、この山の紅葉がひときわ鮮やかに見えていたのを思い出したもので、すんなりと798mピークを目指すことにした。但し地形図を持っていなかった。登山道はあるとは思えず、地形図を持たないのは致命的だったが、道路地図と見えている山の姿から登山経路を決めることにした。朝来インターを過ぎて798mピークの姿が間近に眺められるようになったとき、南東尾根が登り易いそうに思えた。またその尾根がすっかり紅葉しているのも気に入った。その南東側には平野集落があるので、そこを起点に登って行けばと考えた。平野集落へは急坂の車道を登るが、入口に地図があったので、それを見て平野神社を駐車地点にすることにした。その平野神社に着くと、裏手に一台分の駐車スペースを見たので、そこに駐車とする。神社のそばを通る車道はまだ先へと続いていたので、それをアプローチとして歩き始めたところ、すぐに終わってしまった。そこで山頂が北西方向なので、左手の斜面に取り付いた。登り始めると、すぐに竹林の中に入った。その竹林を登るうちに、北東に向かう小さな尾根に出たので、その尾根なりに登って行った。竹林は長くは続かず、植林地に替わった。尾根はやや急坂程度で、植林の中とあって下草は無く、無理なく登って行けた。登るうちに植林が自然林へと替わってくると、周囲が明るくなってきた。自然林は遠くから見えていた通りに紅葉しており、茶枯れた色よりも明るい黄色が多かった。その木の葉がサラサラと降っていた。北東へと登って行くと、北へと向かう主尾根に合流した。その尾根なりに登って行けば、山頂に着けるはずだった。尾根の合流点が分かり難いため、その位置に目印を付けてから主尾根を歩き出した。もう紅葉ハイキングだった。赤、黄、茶と色づいた木々を見るだけで無く、足下はその落ち葉が積もっており、サクサクと音をたてながら歩いた。尾根の傾斜は適度で、樹間も空いているとあって、特に尾根道が無くとも気楽な登山だった。山頂が木々の隙間からながら北西に見えていた。歩くうちに尾根は北西へと折れて、はっきり山頂に向かい出した。自然林の尾根だったが、全山自然林とは言えず、尾根から左手にかけて広がるのみで、右手は植林地だった。そしてどちらの方向も展望は現れなかった。ただ紅葉の様を眺めながら登って行った。尾根がやや細くなったときに図根三角点を見ると、その先で自然林は終わって植林の急坂を登るようになった。そして右手、北側の植林に切れ目が現れるようになり、北の山並みが覗くようになった。その一カ所で足を止めて、北の風景を見ると、そこにどっしりと見えていたのは建屋山だった。雲一つ無い快晴の下に、くっきりと稜線を見せていた。急坂を登りきるとまた自然林が見られるようになった。尾根は北へと向かい、いよいよ山頂かと思っていたが、尾根はまた北西へと曲がって、一段高い位置が山頂だった。山頂は周囲を木々に囲まれていたがけっこう広く開けており、陽射しを受けて明るい山頂だった。たしかこの山頂から展望があったはずだが、10年の経過で木もずいぶん生長したようで、展望の悪い山頂になっていた。ただ人の訪れの少ない山に感じる落ち着きがあり、心の安まる山頂だった。風は無く、陽射しを受けていると適度な暖かさだった。昼どきでもあり、ここで昼食とした。また暖かい陽射しに誘われて、少しばかりの昼寝も楽しんだ。その後は、周囲の様子を少し探ることにした。山頂には登ってきた南東尾根だけでなく、南西、北東、北西のいずれの方向にもはっきりとした尾根が延びており、どの尾根も歩き易そうだった。その一つの南西尾根を少し下ることにした。この尾根が一番歩き易そうに思えてのことで、数十メートルも歩けば展望が現れてきた。そこは傾斜地になっており、そこからは東から南へと展望が広がっていた。東には千ヶ峰、南には生野高原の尾根が眺められた。また近くにカエデの大木があり、それが見頃の色付きを見せていた。山頂で休んでも良し、その展望地で休んでも良しではと思えた。山頂から他の方向に延びる尾根も少し様子を見たが、そちらは木々に視界を遮られており、かろうじて須留ヶ峰の尾根を樹間を通して眺めるにとどまった。山頂で一時間少々過ごして、下山に向かった。とにかく地形図を持たないので、登ってきた経路を辿るのみだった。急坂の植林地までは、ときどき現れる南の展望を楽しんだ。往路ではちらっと見ただけで通過していたのだが、改めて見ると、924mピーク(点名・絵本)がけっこう風格のある姿で眺められた。植林地を下ると、また紅葉の自然林が広がってきた。再び目を楽しませながらの尾根歩きだったが、午後の光の中ではいくぶん鮮やかさは消えているように思えた。その下りのことだが、登っているときは単純な尾根と見ていたのだが、小さく何度か折れるので、やはり慎重に下る必要があった。最後に南東尾根を離れるとき、目印を付けていたのは正解で、それが無ければ行き過ぎるところだった。そして平野集落へと後は向かうだけだったが、その尾根は意外と不確かだったようで、こんなにカエデのきれいな所があったのかと思ったときは、少し東に逸れていた。軌道修正して竹林を歩くようになると今度は西に逸れてしまったようで、平野神社から少し離れている集落へつながる道に出ることになった。逸れたと言っても僅かな距離で、数十メートルも歩けば平野神社だった。このとき村のおじいさんに出会ったので、この紅葉のきれいな山のことについて聞いてみた。山の名は平野高山とのこと。いにしえにこの高山の麓に先祖が住み着いて平野集落を作ってから、平野高山と呼んでいると教えていただいた。てっきり点名の大宮山か、字名の平野北山かと思っていたのだが、そのおじいさんが呼ぶ平野高山としてこちらも呼ぶことにした。それにしても二度の登山共に好印象を持てたことで、平野高山は但馬の隠れ名山ではと思えた。
(2010/12記)(2021/8改訂) |