出石山の名を初めて見たのは、峰山林道でのことだった。2014年7月に暁晴山の南に対峙する1002mピーク(点名・平野)に登ったのだが、その帰路で峰山林道を歩いていると、林道の案内図が立っていた。その一帯の地図も載っており、その地図に出石山の名があった。暁晴山の北西に位置しており、2万5千分の1の地図で見ると、等高線でしか示されていない1050mピークのことだった。このピークには、まだ山名を知らなかった2000年4月に歩いていたが、それから14年が経ったことでもあり、今はどうなっているのかの興味が湧いてきた。
向かったのは2ヶ月後の9月中旬、敬老の日のことだった。この日は出石山が目的と言うよりも、暁晴山の峰山林道コースを登るのが目的で、残りの時間で出石山にも立ってみようとの考えだった。暁晴山を登り終えて、暁晴山登山口に戻ってきたのは12時過ぎだった。午前は雲が多いもののまずまずの晴れと言えた空が、ほぼ曇り空に変わっていた。出石山へは南東尾根を登って行く予定で、起点は峰山林道からと考えていた。その起点まで車で移動したが、暁晴山登山口からは800mの距離だったので、十分に歩ける範囲と言えた。ただ出石山へはピストンで登るつもりだったので、暁晴山登山口まで戻る必要は無く、車移動としたものである。出石山の南側を岡ノ上林道が走っており、林道は峰山林道から分岐していた。その分岐点のそばに駐車とした。始めに岡ノ上林道を歩くことにした。右手の斜面のどこから取り付こうかと思いながら歩いていると、岡ノ上林道から地図に載っていない新しい林道が分かれた。その分岐点辺りが一番取り付き易そうに見えたので近づいてみると、小さな標識があって「熊ノ原・出ツ石・岡ノ上」と書かれていた。「出ツ石」の名を見たことで、安心してその位置より山肌に取り付いた。すぐに尾根を辿るようになった。周囲は植林と自然林が混じっており、緩やかな上に下生えも少ないため、適当に歩いて行けた。左手には新しい林道が間近に見えていた。地図で989mと記されたピークを越すと、その先の鞍部で新しい林道が尾根を横切っていた。林道を渡って尾根歩きを続ける。ちょっと不思議な尾根で、尾根筋だけ周囲よりも1メートル近く高くなっていた。その高くなったそばを歩いて行った。一帯は植林地のため、適当に歩けていたのだが、出石山の山頂が近づくと、植林地は終わった。替わって増えてきたのがアセビだった。初めはアセビを避けながら歩けたのだが、途中からすっかりアセビヤブの様相となってきた。アセビの枝は固いとあって、押し除けて進む訳にもいかず、これはけっこう難儀だった。それでもアセビの切れ目を見つけて歩いた。そのうちにアセビの空いた所が現れたので、そちらに向かうと、辺りより少し高くなった所があった。そこが山頂だった。簡単な山名標識が付いていた。そこは意外と展望があって、暁晴山が見えていた。そこはよく見ると途中で見た尾根筋と同様に、辺りよりも1メートル近く短い幅で高くなっていた。その馬の背のような細い所を南へと辿ると、更に展望の良い所が現れて、暁晴山がすっきりと眺められただけでなく、雪彦山の尾根も眺められた。その右手にはごくうっすらと瀬戸の島も眺められた。西の方向も眺められるのではと、山頂に戻って少し西の方向へも歩いてみた。すぐに氷ノ山が眺められた。もっと広く眺めたいと更に西に進むと、アセビヤブに突っ込んでしまった。それをかき分けるのは厳しく、もう山頂へ引き返そうかと思ったとき、西の展望が現れた。少し木立に視界を妨げられていたので、そばにあった手頃な木に登ってみたところ、思いのほか展望が広がって、黒尾山から氷ノ山まで一望となった。これで展望には満足して、山頂に引き返した。後は登ってきた道を引き返すのだが、アセビヤブを避けて遠回りで歩いた。989mピークとの鞍部まで戻ると、そこからは新しい林道を歩いて、峰山林道へと戻った。14年前の出石山は確かクマザサが広がっていたはずだったのに、すっかりアセビヤブになってしまったようだった。今後も兵庫の山ではクマザサが消えた跡は、どんどんアセビヤブに変わってくるのではと思えた。
(2014/10記)(2018/6写真改訂) |