2003年10月の東北山行は、最後を那須岳登山と決めて、前日の11日には那須岳の麓まで移動していた。ところが翌12日は朝から大雨だった。そこであっさり那須岳登山は諦めた。そのまま帰路についてもよかったが、天気予報を見ると関東地方は午後になって一時的に晴れ間が広がるとのことだった。そこで帰路に立ち寄れそうな山はと考えて、筑波山を登ることにした。
午後の登山としたため、高速道を走らず一般道で移動したところ、3時間ほどかかって筑波山に近づいた。雨は既に止んでいたが、濃いモヤが立ち込めており間近に迫ってもどこに筑波山があるのか全く分からなかった。国道を離れて筑波山神社への道を辿り出して、漸く裾野が見え出した。まずは神社から少し離れた市営駐車場に車を止めた。上空はと見ると、薄く青空の覗いている所も見えた。山にかかるガスはこのまま消えないことも考えられたが、山上での晴れを期待して歩き始めた。この日は秋とは思えぬなま暖かい日で、梅雨どきを思わせる蒸し暑さであった。少し歩くだけで、じっとりと汗がにじんで来た。筑波山神社までの道は観光地そのもの。多くの土産物屋が並び、ホテルも建っていた。神社の境内を抜けてケーブル駅へと向かう。このガス空にもかかわらず、大勢の人がケーブル駅へと歩いていたが、その駅のそばから始まる登山道はと言うと、全く人影を見なかった。人の流れから離れて、その静かな登山道を歩き始めた。道は木道の部分もあったが、おおかたは古からの道と言うか古色蒼然としており、それが雨に濡れて、周囲の鬱蒼とした木々や霧とともに良い雰囲気が漂っていた。ただこの日の蒸し暑さは異常なほどで、たちまち全身汗みずくになってしまった。道はケーブルカーの線路とほぼ平行して続いているのだが、一度だけ線路そばに近づいただけで、ずっと木々に囲まれての登りが続いた。中間点を過ぎたころに少し下り坂があり、その後は山腹を巻くように緩やかな道が暫く続き、そして再び傾斜がきつくなった。さほど足を緩めず黙々と登って行くうちに、途中で何組かの二人連れを追い越したが、いずれも若いペアであったのに珍しさを覚えた。山上が近づくと木道部分が増えてきた。そして最後は急階段の登りがあって山上に出た。そこは御幸ヶ原と呼ばれる平坦地で、二つのピーク(女体山と男体山)の中間点だった。何軒かの土産物屋や茶屋が並び、麓以上の賑わいがあった。ただいずれの店も建物は古く、レトロな雰囲気があった。この山上に出た頃より期待通りに空が晴れてきた。そして一帯のガスも消えてきた。ただ両ピークにかかるガスはまだ消えていなかったので、回転展望台の上に上がって暫く様子を見ることにした。店の中を通って展望台に上がるのだが、もう全くの観光地に来た気分になった。展望台の上は意外と涼しく、少し肌寒さを覚える風も吹いていた。その快さにのんびり時間を過ごしていると、暫くして女体山のピークが現れてきた。そこで漸く女体山へと向かった。山頂への道はもう参道だった。周りを歩く人の姿もごく普通の街着で、登山姿はほとんど見かけなかった。途中にも茶屋を見かけた。きつい坂の無いままに山頂に着くと、本殿のそばに三角点を見た。そこは展望地ともなっているのだが、ごく狭い岩場とあって、10人も立てばいっぱいになってしまいそうだった。大勢の人に混じって漸くその山頂に立ってみると、周囲はすっかり雲海が広がって、その中に島のように男体山が覗いていた。筑波山で雲海に出会えるとは思ってもみなかっただけに、暫しこの風景に瞠目してしまった。ガスは更に晴れてくるものと暫く佇んでいたのだが、再びガスが辺りを取り巻きだしたので、女体山を後にして男体山へと向かうことにした。御幸ヶ原に戻り、男体山への登りにかかると急に人が減ってしまった。なるほどこちらの道はきつい坂もあって登山道の趣があった。その男体山山頂はと言うと女体山よりも狭く、展望も少し劣るように思えた。こちらではガスに取り巻かれたこともあり、ちらりと女体山が見えたにとどまった。その後は、登りと同じく表登山道を歩いて下ったのだが、この下山時でも若いペアに5,6組は出会ってしまった。あまり登山の雰囲気は無く、デートの続きのような感じで登っていた。そこで帰宅後に調べてみると、この筑波山は縁結びの神様としても有名であることを知り、納得した。
(2003/10記)(2011/12改訂)(2021/6写真改訂) |