日本百名山に選ばれている丹沢はどの山を登れば丹沢を登ったことになるのだろうかと考えたとき、最高峰である蛭ヶ岳だけでなく丹沢の名を持つ丹沢山、そして人気の塔ノ岳と三つの山を登れば良いのではとの結論になった。その丹沢に車で向かうことにしたのだが、そうなるとコースとしては大倉尾根を登るのが一番適しているように思えた。その大倉尾根コースは歩く距離が長いものの何とか日帰りが出来きそうで、始めは日帰りでプランを練ってみたが、そのような忙しい登山はしたいと思えなくなり、山小屋で一泊して蛭ヶ岳を目指すことにした。候補に挙がった山小屋は丹沢山のみやま山荘と蛭ヶ岳の蛭ヶ岳山荘の二つで、パートナーに選ばせた結果、食事で優っていると思えたみやま山荘となった。丹沢に向かう計画を具体化したのは2021年2月に入ってからだったが、仕事と天気の両方を睨みながら実行日を決めることになるので、結果として4月後半までずれこみ、漸く4月19日、20日の両日で決定となった。決定するとすぐにみやま山荘へ予約の電話を入れた。一泊二日の予定としたので早朝から登り出す必要は無く、のんびり登っても問題なかった。そこで前日は近くで一泊することにした。
(4月18日)このは不安定な天気だった。姫路を午後に入ってから出発すると、後はひたすら高速道を走った。山陽道、新名神、伊勢湾岸道、新東名と走って行くが、伊勢湾岸道に入ってからは強風と雨の中だった。それが静岡県に入る頃より一気に晴れてきた。そして富士の姿をくっきりと見た。この日は足柄SAまでだった。以前なら車中泊としたのだが、年をとると共に楽をしたくなり、SA内にあるレストハウス時之栖で宿泊とした。
(4月19日)前日からの好天は続いており、朝の空は雲一つ見ない快晴だった。朝食はサービスエリア内で済ませ、サービスエリアを離れたのは7時半過ぎだった。ナビを秦野戸川公園にセットして走ると大井松田ICで下りることになり、北へと走って8時過ぎに秦野戸川公園に到着となった。月曜日とあって駐車場は空いており、あちらこちらで登山準備をしている人を見かけた。そこからの登山の様子は下の写真帳をご覧いただきたい。案内標識が的確にあり、それに従うだけだった。標識では大倉バス停から塔ノ岳までは7.2kmだった。始めに車道を歩き、自然と登山コースに入った。登山道は緩やかな道で、始めは舗装林道だったが未舗装路となり山道へと替わった。見晴茶屋の前を過ぎると周囲はすっかり新緑の世界だった。尾根は緩やかな所が多く、遊歩道を歩いている感じの所もあった。堀山の家まで来たとき、そこは展望があり富士の姿が眺められた。その先で傾斜がきつくなるも、また緩やかな道となることもあった。その辺りは小草平と呼ばれる所で、すっかり遊歩道だった。その感じで登れれば良かったのだが、程なく丸太の階段道を長々と登るようになった。背後に展望が広がってきたが、視界はうっすらとしていた。花立山荘に着くと、そこで標高は1300mあり、塔ノ岳までまだ200mほどあった。この日は平日のためハイカーは多くはないものの、常に前後にちらほら見かけた。急坂登りが続くため、ほとんどのハイカーは足が鈍っていた。それでも気温は20℃までだったので、あえぐ感じにはならず登って行けた。塔ノ岳に着いたときは11時半を過ぎていた。駐車場から3時間20分かかっていた。山頂には尊仏山荘が建っており、その前は広々として100人は楽に休めそうな広さがあった。ざっと見渡して30人は休んでいるようだった。当然ながら富士山の見える位置で休憩とした。涼しい風が快く、陽射しは気にならなかった。そこまで来れば蛭ヶ岳が見えており、その右手の山頂がなだらかな山が丹沢山のようだった。山頂で1時間ほどの長休憩を済ませると、次は丹沢山を目指して塔ノ岳を後にした。丹沢山まで2.6kmだった。多くの人は塔ノ岳までのようで、丹沢山に向かう人は見なかった。鞍部へと下り日高へと登り返す。蛭ヶ岳までのピストン登山の人なのか、軽装のハイカーと何人かすれ違った。竜ヶ馬場まで来ると丹沢山までもう900mだった。階段の部分が多いものの、全体としては塔ノ岳までのコースよりもずっと自然の中を歩く感じがあり、その落ち着いた雰囲気は悪くなかった。丹沢山に着いたのは13時46分のこと。塔ノ岳から74分だった。この日は丹沢山までだった。丹沢山山頂からの展望は少なかったが、富士山から蛭ヶ岳まではすっきりと見えていた。展望を楽しんだ後、おもむろに山頂に建つみやま山荘に入って宿泊の手続きをした。一番乗りだった。ただ結果としてこの日の宿泊者は3組5名のみだった。そのためか個室があてがわれてのんびりと休めた。陽が沈んだ後に見る富士も良かった。
(2021/7記) |