TAJIHM の 兵庫の山めぐり <沖縄県の山 
 
与那覇岳    よなはだけ 503m 国頭村(沖縄県)
 
1/2.5万地図 : 辺土名
 
【2006年1月】 No.1 2006-05(TAJI&HM)
 
    奥間林道にある東屋のそばより  2006 / 1

 2006年1月初めに、3泊4日で沖縄へハイキング旅行に出かけた。初日となる1月8日は、ホテルのある沖縄本島中部の恩納村まで移動のみ。9日がハイキング初日となって、午前は本部(もとぶ)半島の沖に浮かぶ伊江島の城山(ぐすくやま)に登り、午後は本部半島の中央にある嘉津宇岳に登った。どちらの山も亜熱帯性の植物が繁り、沖縄の山が持つ魅力の一端に触れた思いだった。そしてハイキング二日目となる10日が、いよいよハイキング旅行の主目的となる沖縄本島の最高峰、与那覇岳へ向かう日だった。向かうと言っても与那覇岳に関してほとんど知識を持っていなかった。本来なら遠方の地に行くのだから下調べを十分にすべきなのだが、どうも沖縄の山に関する本は見当たらず、また資料もほとんど見かけなかった。そこで現地に着けば本屋でハイキング本かそれに類するものが入手できるだろうと考えて、気軽に来たものである。ところがうるま市で本屋に入ったのだが、沖縄の歴史や風土に関する本は多くあったが、ハイキング関係は皆無だった。これは大誤算だった。そうなると、あと頼れるのは地元の役場となるのだが、9日は成人の日で休日だった。そこで10日に与那覇岳を目指すことにしたものである。まず目指す先は国頭村役場だった。
 ホテルを出たのは7時20分。曇り空だったこともあるが、本土より西に位置するためか、まだ薄暗さの残る時間だった。国道58号線を北上して行くと、この日は平日とあって名護市内は朝の通勤時間で、少々交通渋滞に巻き込まれてしまった。名護市内を抜けると、うそのように車は少なくなった。後は美しい海岸線沿いをひたすら走るのみ。名護市内ではまだ曇り空だったが、北に向かうほどに雲は薄れて、国頭村に入る頃には薄晴れまでになっていた。国頭村役場に着いたのは、8時半過ぎ。既に役場は開いており、役場の方から快く登山道を教えていただいた。またパンフレットもいただいた。ようやく準備の出来た思いで、いよいよ与那覇岳に向かった。辺土名トンネルの手前で国道を離れて右に折れると、森林公園の標識が現れた。まずは森林公園を目指すので、その標識に従って車を進めると、道は与那覇岳方向に向かって山中へと入った。きれいな舗装路で一般路と変わらない。森林公園を過ぎると奥間林道に合流した。奥間林道も舗装路で、南東へと向かって行くと、やがて右からの大国林道と合流した。そこは標高330m辺りで、役場で聞いた話では、その合流点を僅かに大国林道側に入ったところより、登山口に通じるダート道の林道があるとのことだった。そこで大国林道へと入ると、なるほど合流点から数十メートルの位置に枝道が分かれていた。但し入口には、有ると聞いていた与那覇岳の標識が付いていなかった。他に道は見えなかったので、その道を入口から歩くことにした。車は近くの駐車スペースに止め、半信半疑の気持ちで歩き出した。道幅は4mほどあったが、けっこう荒れており、四輪駆動でないと少し厳しいと思われるダート道だった。周囲は大型のシダや亜熱帯性の常緑樹が繁り、ちょっとしたジャングルを歩いている雰囲気だった。これが「やんばるの森」というものなのだろう。ただこの日は気温が低く、15℃ほどだったので、歩いている分には程よい涼しさだった。心配なのは進めども現れない標識で、歩き出して20分ほどすると、本当に登山口に着けるのかと、少々不安になってきた。道には車の轍のほかに靴跡もあったので、それを頼りに進んで行くと、おおよそ25分で登山口に着いた。一安心である。林道はその先も続いていたが、入り口にはロープが張られて、それ以上は進めないようになっていた。登山口には案内板が立っており、そのそばから幅1mほどの登山道が始まっていた。一呼吸おいて歩き出す。道幅は狭かったが、よく踏まれている道で、無理なく進んで行けた。ただこの道にも標識は付いておらず、地図を持たないこちらとしては、枝道が出て来るたびに不安になってきた。ともかく周りの珍しい植物や木立を見ながら進んで行った。林道よりもいっそうジャングルの雰囲気だったが、この山は笹も多く、5mほどの高さがあった。歩いているうちに展望が現れるのではと思っていたが、なかなか現れない。少し木立が空いていても、そこから見えるのは近くの尾根ぐらいだった。道としては南に向かって徐々に登っている形だったが、やがて道は下り坂となり、そして登り返して行くと、突然のごとく山頂に出た。そこは直径10mほどの広さにきれいに刈られており、周囲は丈の高い笹や木立が取り囲んでいた。その密林にぽっかり開いたような空間の中央に、一等三角点(点名・与那覇岳)が置かれていた。とうとう展望を得られないままに山頂に着いたことになる。山頂も全く展望は無し。地図は無く、展望も無いままに山頂に立ってしまったことで、今ひとつ実感がわかず、そこで山頂から幾つか分かれている小径を少し探ることにした。来た方向からそのまま南へ延びている道は平坦なままに続いていたが、少し先で石碑のようなものが現れると、そこで終わっていた。再び山頂に戻り、今度は東へ下る道を辿ることにした。その道を少し下ると、木立がばらけていた。そこで今少し展望を得ようと近くの木に登ってみた。4mほど登ると東に展望が開けたが、そちらに見えたのは三角点ピークと同じぐらいの高さがありそうなピークだった。そのピークのために遠くまで見えるとはいかなかった。ただ南東方向に逆光気味だったが海岸線が見えていた。展望はあきらめて東へと下る道を辿って行くと、数十メートルほどで沢に下り着いた。そして東のピークへと登り返すことになるのだが、どうもその先はヤブのように見えたので、探索はそこまでとして引き返すことにした。そして三角点ピークに戻り、登山口へと来た道を引き返して行った。昼が近くなって天気は更に良くなっており、来るときは薄暗かった森も、少しは明るい雰囲気に変わっていた。この与那覇岳登山を終えて思うことは、どうやら与那覇岳は登山と言うよりも、一帯の「やんばるの森」をトレッキングとして楽しむ山のようだった。登山道には幾つか小径が分かれており、山頂から東の沢へと下りる途中からも、よく踏まれた小径が枝分かれしていた。いずれはそれらの道を含めて、与那覇岳のトレッキングコースとして紹介されるのではと思っている。
 ところで帰宅してから改めて地形図や「点の記」を調べてみた。そこで分かったことは一等三角点は与那覇岳の最高点である503mピークには無く、その南の498.0mのピークに有ったと言うことだった。てっきり最高点に三角点が有ったものと思っていたため、少し意外な感じだった。ただ辿った経路が北からであったので、その最高点を越してから三角点に着いたようにも思えたが、今となっては不明である。
(2006/1記)(2014/10改訂)(2017/12写真改訂) 
<登山日> 2006年1月10日 9:18スタート/9:44〜48登山口/10:09〜43山頂/11:13登山口/11:41エンド。
(天気) まずまず晴れていた。少しひんやりとしており、気温は15℃ほどだった。終始樹林の中だったため、風はほとんど感じず。涼しさの中の登山で、ちょうど良い感じで登れた。視界は少し濁っており、くっきりとは言えなかった。
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舗装された林道のそばより、ダートの林道が始まっていた 周囲は亜熱帯性の植物で、まさに「やんばるの森」だった 林道を歩いて30分ほどで標識の立つ登山口に着いた
登山道は亜熱帯性の植物に囲まれていた 鬱蒼とした森を見る 登山道から展望が現れたが近くの尾根を見るだけだった
山頂には一等三角点が置かれていた そこは周囲を5mほどの丈がある笹に囲まれていた 一等三角点(点名・与那覇岳)を大きく見る そこの標高は498mだった 三角点の位置より更に南の方向に進むと、石碑のようなものがあった
(←)
三角点ピークより少
し下った位置で手頃
な木に登ると、東向
かいとなるの最高点
ピーク(503m)
が望めた
  (→)
  左の写真の右手とな
  る東の方向を見ると
  海岸線が望まれた
向かいのピークとの間にある沢まで下りてみた 下山は往路を戻った 南国らしい常緑樹を見上げた 道ばたには大型の植物(クワズイモ)が目に付いた

帰路に森林公園に
立ち寄った

園内の遊具の上に
上がって園内の風
景を眺めた

同じ遊具の上から
与那覇岳を眺めた

与那覇岳を大きく
見る

帰路に海岸線へと
近づくと辺土名の
美しい集落とマリ
ンブルーの海が眼
下に眺められた